昨夜、映画「ラーゲリより愛を込めて」
を観に行きました。
戦後、シベリア抑留で捕虜になった日本人が、極寒と飢えの中、逢えない家族を想い
命を落としていく。
家族と再会が果たせない中、劣悪な環境で強制労働させられ、身に覚えのない罪を着せられ収容される。
先の見えない拘束期間の最中、何のために、こんな想いをしてまで生きるんだと、多くの人が絶望する中
二宮さん演じる主人公の山本さんは、
最後まで希望を捨てず、周りの人を笑わせ、生きる気力を与えてきた。
その恩を返すように、
山本さんが遺した言葉は、帰国できた仲間よって無事家族に届けられ
本当に最後の最後の救いだった。
文字を書いた紙切れすら、所持を許されない環境でも、言葉を遺し、人の心を灯すことができたんです。
今、自分はノートも紙もペンもあり、こうしてSNSで文字を書いて残すことが自由にできる。
今の時代でも、自由な思想や言動が許されない国があって、たまたまその国に生まれなかった。
これは、なんという幸運でしょうね。
ラーゲリの収監された主人公以外の人達にも家族がいて、それぞれの人生のストーリーをもっていて
伝えられなかった思いがたくさんあったんだ、と思ったらあまりにも無念です
"言葉を残せる" のは、当たり前の事じゃない。
感謝、謝罪、素直な気持ちを恥ずかしくて、怖くて、言語化しないのは
"明日もあるから"
これは平和な証拠なのか、でも皮肉です。
「そのうち伝えればいいや」
ってどこかで思っていることは
大抵伝わることなく跡形もなくなってしまうのにね。
明日はもう、いないかもしれない人に
伝えればよかった
まっすぐに届ければよかった
いくらでも時間はあったのに。
そんな後悔はしたくないな。でも
平和だと、その心の余韻がそうさせてしまうんだよなって、色々過去も回想しました
私は、戦争ものの映画や、負の世界遺産などに関心が高くて、結構今まで映画や、観光で多くそういったものを見てきています。
人が苦しみ、死んでいく、っていうストーリーに触れるのは、重い気持ちになるけど
苦しんだ誰かが遺した心を受け取って、それによって生まれた知見を、たとえ小さな小さな欠片だとしても自分の生活に落とし込んで生きていきたいんです。
"生きた人"というだけじゃなくて、"繋ぐ人" "残した人"
になることが、私の中でとても重要になってる。
これからも、このような映画を見たり、跡地に触れたりして
身近な人だけでなく、見てくれた人の心に残してもらえるような発信ができるように暮らしたい
大分重々しい内容になってしまったけど全部本音で綴りたいのです。
それにしても、キャストみなさん素晴らしい演技なのは言うまでもないけど
安田頸さんの演技は頭幾つ分か
飛び抜けてるな...と
あの表情、声色、忘れられない程に感情が伝わってきました。
一言一言の重みが遥かに研ぎ澄まされてる。
ーそして、寝る前に思う事ー
【今日見た光景が夢にでてきませんように】
※睡眠時間長いから起きた時の気持ちえぐ辛い
それでは、お休みなさい(^^)